外壁塗装 | 神戸・大阪の外壁

尼崎

やまと建装の外壁塗装創業物語

明石

創業当時、「やまと建装(旧、真島塗装店、日本住宅設備)」の名は世の中の誰も知りませんでした。私は当時35歳。1台の軽自動車から外壁塗装業の第一歩を歩みだしたのです。

「塗装の腕があればなんとかなる!」と、夢と希望に満ち溢れていました。しかし、現実は甘くはありませんでした。
若くて信用も無く、そのくせ古臭い職人気質な自分に営業など出来る筈もなく、思うように仕事が取れなかったのです。
「なんで、みんなわかってくれないんだ。現場さえあればいい塗装をやってみせるのに!」不安と挫折感でいっぱいでした。焦りから、大手上りの営業マンや監督を雇い、業務を増やそうとしましたが、買ったばかりの機械や集金のお金をゴッソリと持ち逃げされたりして、結婚したばかりの妻と泣き明かした夜もありました。

・・・仕方なく、大きな会社から業務を頂き、下請けとして与えられた仕事をこなす日々を何年も過ごしました。 正直なところ、まともな外壁塗装ができるような予算は頂けず、誠実な仕事を心がけるほど赤字となりました。
いい仕事をして赤字になるなんて!声を上げて泣きました・・・。現実に負けいつまでも夢に立ち向かおうとしない自分が歯がゆく情けなかったのです。

そのとき、心に誓いました。大きな会社のために頑張ることも立派な事業ですが、
直接お客様に、私たちの心の込もった本当の仕事をご提供しよう、と!

丁寧さだけは絶対に負けない

下請けの業務を辞めた当初、仕事は激減しました。
しかし、私は諦めませんでした。正当な仕事をいただき誠実な外壁塗装・屋根工事を貫き通しました。
「どこの塗装屋より丁寧さで絶対に負けない!材料も絶対にけちらない!」
自分にも職人さんにも厳しく徹底しました。一生懸命いい工事・塗装をしていれば誰かが必ず見ていてくれる、必ず認めてくれる。そう信じていました。

止まらなかった涙

決意のあの日からどれだけの月日が流れたでしょうか。今でも鮮明に思い出されます。ようやく初めてのお客様と契約することができました。

70代後半の素敵な山の手の奥様でした。
塗装が終わりに近づいたある日、奥さまは一冊のある工務店の会社案内を下さいました。
「ありがとう、素晴らしいお仕事でした。震災前には、この神戸には素晴らしい工務店があったんだけど、地震で倒産されてしまったの。あなたには、頑張ってこの神戸の方々から頼りにされていたその社長のような方になって貰いたいの。」
と、その思いがけない言葉に、胸が熱くなり必死に涙をこらえました。車に戻ってからは涙が溢れ止まりませんでした。
そのお宅は今でも「原点」なのです。私も震災で家を無くした経験があります。
だからこそ、家の大切さは身に染みてわかります。

やまと建装は地元の小さな「外壁と屋根の専門店」です。大企業のような華やかさはありません。けれども、ゆっくりとゆっくりと確実に地域の皆様に認められるようになってくることができたのです。
私の夢はようやく始まったのです。

そして、今・・・

姫路

皆様の「ありがとう」に支えられ、外壁施工実績315件。おかげ様で地域一番店とご支持を頂けるようになりました。感謝の気持ちで一杯です。世の中には不誠実な業者も多く、リフォームで後悔する人、心を踏みにじられる人が後を絶ちません。
我々には地域に根づく職人仕事と日本の心を守るという信念があります。
この思いを貫き、これからも愛する港町神戸の家を守り、住まわれる皆様に安らぎを提供したい、と願っています。

いつの日か我々が老いても次の世代へこの思いが受け継がれ、港町の地元塗装専門店として皆様と共に歩んでいくのが夢です。
昭和の心を引き継いだ我々平成外壁職人がその使命を果たしたい! 心からそう思っています。
我々は、毎日この町のどこかで一生懸命外壁や屋根の塗装をし、お客様へ対応していますので、外壁の塗替えの際には是非一度お尋ねください。

あなたの痛んだ大切なお家も、我々の手塗りで新築のように必ず元通りにしてみせます。

あなたの夢かなえさせてください

加古川

これから外壁塗替えリフォームをお考えで、大切なお金を無駄に使いたくない方、専門店にしかできない「感動の外壁塗替えリフォーム」の全てをお知りになりたい方は、ぜひ一度お尋ねください。
我々は押し売りや強引な営業は一切致しません。この私がお約束いたします。


岸和田 宝塚

伊丹